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総門 |
観音堂 |
毘沙門堂 |
村雲橋 |
唐院四脚門 |
長日護摩堂 |
禅宗寺院の正門を総門といいます。三井寺(園城寺)の正門にあたります。三井寺も入口は数多くありますが、やはり総門から入るのが正しいでしょう。
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三井寺(園城寺)南院の中心伽藍です。本尊は如意輪観世音菩薩像です。棟札によると元禄二年(1689)の上棟と伝えられています。正堂と礼堂とを合の間で連ねた複合建築です。県指定有形文化財。
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昭和27年(1952)に国指定重要文化財登録。毘沙門堂は、正面一間、側面二間、一重、宝形造、檜皮葺の小建築で、極彩色を施した唐様式の建造物です。もとは、園城寺五別所の一つだった尾蔵寺の境内南勝坊に元和2年(1616)に建立されたものです。後に移築、解体修理され、昭和31年(1956)に現在の地に移されました。 |
開祖の智証大師(円珍)がこの橋を渡っているときに、大師が入唐の際に青龍寺が火災で焼けていることを感じました。そこで、閼伽水を橋の上からまいてみると、下から雲が湧き起こって中国向かってに飛び去ったそうです。翌年に、青龍寺から鎮火のお礼の使者がやってきたといわれています。三井寺に伝わる伝説のひとつです。 |
唐院は智証大師円珍が入唐して天安2年(858)に請来した経巻・法具類を貞観10年(868)に納め、伝法道場にしたことにはじまります。四脚門は唐院の表門で、奥へ潅頂堂、唐門大師堂と一直線に並ぶ最前列の位置にあります。この門は、もともと棟門形式として建立されましたが、建立後まもなく四脚門に変更されたものと考えられています。切妻造、檜皮葺。寛永元年(1624)の建立。 |
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺。正面は桟唐戸、両脇を連子窓でつくられています。寺伝によると後水尾天皇(在位1611〜1629)の祈願により建てられたものと考えられています。滋賀県有形文化財。 |
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潅頂堂 |
一切経蔵 |
輪蔵 |
三重塔 |
霊鐘堂 |
弁慶汁鍋 |
大師堂と四脚門にはさまれて立つ、拝殿としての役割を持つ建物です。長日護摩堂と渡り廊下でつながっています。これらの伽藍がたつ唐院は、円珍の廟所などもあり、境内でももっとも重要な場所のひとつになっています。 |
一切経(大蔵経)とは、仏教すべての経典のことをいいます。それが納められてある蔵がこの一切経蔵です。宝形造、檜皮葺の禅宗形式の建物です。裳階とよばれる飾り屋根が付いているため、二重に見えますが、内部は一重です。内部は、版木の一切経が納められている八角形の輪蔵があります。元々山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって、慶長7年(1602)に移されたものといわれています。
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一切経蔵内部の八角形の輪蔵です。輪蔵とは回転式の書架のことで、版木で書かれた一切経が納められています。高いところから光を入れる仕組みである明層とよばれる隙間があります。
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もとは大和国(奈良県)の比曽寺(現在の世尊寺)にあった東塔を慶長6年(1601)に移築したものです。南北朝時代(14世紀ころ)の建築とされています。三間三重の塔婆の形式で、本瓦葺。二重目と三重目に菱格子が用いられているのが珍しいとされています。国指定重要文化財。 |
鐘を安置するために建てられたお堂という珍しい建物です。現在ここに安置されている鐘には、山門派(比叡山延暦寺)と寺門派(三井寺)との間での抗争があった際、比叡山に持ち去られたときについたと考えられている傷が残っています。この鐘は、現在では「弁慶の引きずり鐘」といわれています。 |
弁慶が使用したとの伝説がある汁鍋です。ご覧のとおり大きい鍋です。 |
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弁慶引摺鐘 |
閼伽井屋 |
鐘楼 |
三井の晩鐘 |
金堂 |
堂前灯籠 |
比叡山の僧だった弁慶が三井寺との抗争の時に奪って持ち帰ったとの伝説がある鐘です。その後で、撞いてみると「イノー」(関西弁で「帰りたい」という意味)と音をたてたので、怒った弁慶が「帰りたければ帰れ」と谷底へ突き落したといわれています。表面の傷は、伝説では、その時にできたものとされています。元々、三井寺の初代の梵鐘で、奈良時代の作といわれています。 |
閼加井とは、仏前に供養する水を汲む井のことで、その覆い屋のことを閼加井屋といいます。三井寺の閼加井屋は、桃山時代の建築です。中の井泉は、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。 |
「三井の晩鐘」がかけられている鐘楼。切妻造、檜皮葺きの建物です。建築年代は慶長年間(桃山時代)といわれています。昭和42年6月に国の重要文化財に指定されました。
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「三井の晩鐘」がかけられている鐘楼。切妻造、檜皮葺きの建物です。建築年代は慶長年間(桃山時代)といわれています。昭和42年6月に国の重要文化財に指定されました。「弁慶の引きずり鐘」に代わって設置された鐘です。 |
慶長4年(1599)に豊臣秀吉の正室北政所(ねね・おね)によって建てられたものです。桁行七間、梁間七間、一重入母屋造。ひときわ目をひく屋根は檜皮葺です。昭和28年(1953)3月に国宝に指定されました。 |
別名を園城寺金堂無名指灯籠といいます。天智天皇が大化の改新を始めるにあたって、蘇我氏一族を滅ぼした時に、その罪障消滅のために天皇自らの左薬指(これを「無名指」といいます)を切り、この灯籠の台座下に納めたと伝えられています。 |
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食堂(釈迦堂) |
大門 |
新羅善神堂 |
桁行七間、梁間四間、一重入母屋造、檜皮葺の建物です。もとは、御所の清涼殿だったともいわれています。現在は釈迦如来がまつられているので、釈迦堂の名称で親しまれています。もともとの建築年代は、室町時代の初期といわれていますが、江戸時代に付けられた唐破風の向拝など、後世になって改造されたところが多々あります。明治45年(1912)2月に国の重要文化財に指定されました。 |
両脇に仁王像が安置されていることからも、別名を仁王門といいます。建築は宝徳4年(1452)にさかのぼります。三井寺中院の表門です。常楽寺(湖南市石部町)の門だったのが、秀吉の頃に伏見に移築され、さらに慶長6年(1601)に家康によって現在地に建てられたといわれています。重要文化財。 |
園城寺(三井寺)の境内から、少し離れたところにあります。現在は非公開らしく、塀越しに垣間見ることしかできません。三間四方の流れ造り、屋根は檜皮葺の建物です。暦応3年(1339)に足利尊氏による再建のものが現在の建物とされています。建物自体も国宝ですが、この建物に安置されている、園城寺(三井寺)開祖の智証大師の守護神とされる新羅明神の座像も国宝です。源頼義の子、義光がここで元服し、新羅三郎義光と名乗ったのは有名です。 |
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