キトラ古墳の被葬者は?

2001年


はじめに

 古墳のうち、宮内庁が管理するものは皇室のご先祖のものと思われ、発掘ができません。それらの古墳は石室が開けられておらず、また、石室に壁画が描かれていたかは不明です。竹原古墳など、九州地方には彩色古墳が多数ありますが、このような理由からも、石室の壁面にきれいな絵が描かれている古墳というものは飛鳥地方には私の知る限り高松塚古墳(写真1)とキトラ古墳(注1・写真2)くらいでしょうか。でも、本当はもっとあるのだと思います。
 発見されていない古墳もきっとあることでしょう。古墳の新発見とそれに関する研究はキトラ古墳をはじめとする多くの古墳の被葬者を特定する手がかりを提供するのだと思います。


キトラの星宿図から考える被葬者

 飛鳥時代にもたらされた日本の最先端技術は、朝鮮半島から渡来人を介してもたらされたものが多いです。各地に残る渡来人ゆかりの土地や建築物、仏像などの多さからもそのことがうかがえます。法隆寺や飛鳥寺建設時の技術者(中国人やペルシャ人もいたらしい?)、また飛鳥大仏をつくった鞍作止利など、高度な技術力を持ち、飛鳥時代、日本でも高い地位にいた人々も多かったことでしょう。石室天井に描かれる星宿図も、実は大陸起源のもので、漢代の中国や高句麗にある古墳などには多くみられます。したがって、キトラの星宿図も渡来人によって描かれた可能性は非常に高いと考えられます。また、四方の壁面に四神(注2)が描かれている構成も大陸起源です。
 キトラの星宿図は、天の北極を中心として描かれていて、3重の同心円が描かれています。それぞれ、天子のエリア、天の赤道、地平線を示すものと考えられていますが、最も外側の円を地平線と考えれば、どのあたりの緯度で観測された図なのかはすぐに計算できます。
その結果、この星空は北緯39度、高句麗の首都ピョンヤンのものだということが分かりました。
 以上から考えれば、キトラの被葬者が「渡来人系で高い地位にいた人物の誰か」だという推論が成り立つことと思われます。そうすれば、高松塚古墳をはじめとした装飾古墳の多くは渡来人が被葬者で、本国と同じように葬り、また、故郷の星空の下で永眠するという演出をしているということでしょうか。


天武天皇ゆかりの皇族説

 キトラ古墳は北緯34度27分04秒、東経135度48分19秒に位置しています。その位置が、被葬者の姿を語っているというのです。
 天武天皇は、大化の改新を行った人物として有名な天智天皇の弟です。672年、壬申の乱で、天智天皇の子大友皇子(弘文天皇)を破って皇位につきました。この天武天皇はそれまで大王(おおきみ)とよんできた言い方を改め、初めて天皇と称したといわれています。道教好きの天武天皇は、道教で皇帝を示す北極星になぞらえ、天皇としたわけです。キトラの星宿図が北極星を中心に描かれていたのは、天子のデザインともいえます。
 そして、彼自身の墓もキトラ古墳のそばに、それも特殊な位置にあります。
 天武・持統天皇陵も東経135度48分の経線上にあり、なんとキトラ古墳と同じ経線上にあります。さらに、彼の后、持統天皇の時代に建設された藤原京、高松塚古墳、中尾山古墳(文武天皇陵)さらには、近江(今の滋賀県)にある天智天皇陵なども、すべて同一線上に存在しているのです。
 これは単なる偶然ではなく、意図的に高貴な身分にいた人々(皇族か)のお墓を並べたのだと考えられています。この線は「聖なるライン」と呼ばれています。
 このライン上の他の古墳も、もし未盗掘であるなら、豪華な壁画に彩られた石室を持っている可能性は十分にあると思います。以上から、被葬者が天武天皇ゆかりの皇族であるという説は非常に有力です。


結局、誰が被葬者なのか

 渡来人説に拠れば、被葬者は高句麗出身の人物ということになります。それも相当高貴な人物、技術者たちのリーダー、高句麗の王族、、、
ただ、日本と関係が深かった百済の王族の誰かという説を唱える方もおられます。
 日本人だとすれば、やはり天武天皇の皇子あたりが適当でしょうか。忍壁、弓削、、、
 いずれも決定的とはいえません。結局、これからの研究が待たれるところとしか言えません。あえて憶測が許されるとするならば、そこまで詳しく研究はしていないのですが、にわか知識をもってすれば、渡来人説が説得力が一番あったような気がします。

写真1(高松塚古墳)
写真2(キトラ古墳)
写真3(薬師寺金堂本尊台座玄武像)




1キトラ古墳の名前の由来は、諸説があります。古墳がある地域の名前の「北浦」にちなんでいるらしいです。しかし、誰かが古墳の石室を覗いた時に、亀(玄武のことか)と虎(白虎のことか)が見えたからという説もあります。自分としましては、後者の方がしっくりくるのですが・ ・・
2中国に伝わる神々で、風水思想と融合して生まれた、東西南北の方角を護る守護神のことです。それぞれ白虎・青龍・朱雀・玄武のことを指します。玄武は、蛇と亀が絡み合った姿をしていますが、キトラ古墳壁画のものは、薬師寺金堂本尊台座の玄武像(写真3)とそっくりです。

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